公開日 2021年09月

~俄雨に遭ったこと~
近くの図書館へ行くには天満宮の前を通らなければならない。ここに天満宮があるのは、少し離れたところにあったが、道の拡張工事で移転されたのである。小さいがしっかりした神社だ。7月の下旬の事である。所によっては梅雨が明けたとの便りもあったが、あちらこちらで線状降雨帯という言葉を聞くようになっていた。中国地方、中でも日本海側では雨が降り続いているニュースが聞こえてきてもいた。
その日は、徳島も空模様は怪しく、天神社前を急いで帰っていたが、こともあろうに天神社前で大きな雷の響きに驚く。だが、道真公のご利益で落ちてはこない。まもなく、豪雨と言えるほどの俄雨だ。雨に打たれ、濡れながら家に着き、着替えてほっとする。徳島もこれを境に梅雨が明けそうだ。この時、誰かに教えられたことをふと思い出した。これには「太田道灌にあった」という当て字があるようだ。
太田道灌が鷹狩中に俄雨に遭い、近くの集落の家に蓑を借りに行った。道灌に、出てきた娘が山吹の枝を一枝差し出した、との逸話を下敷きにした当て字である。最近でも広く知られたことで、太田道灌と言うキーワードは俄雨・山吹を即座に連想させるのである。山吹の一枝は、平安時代の古歌の“七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき”という歌の『蓑』と『実の』を懸けたものと言われる話である。
このような話は社会人になるには備えておくべき常識でもあるのだが、最近は漢文や古文に絡む一昔前の常識は衰微してきている。逆に、英語や仏蘭西語、時にはスペイン、ドイツ語も入り交じり常識言葉になっているものもある。一昔前の中国、いわゆる漢字文化は脇に置かれている。
私の範囲の話で申し訳ないが、『算法珍書』と言う、ちょっとふざけた数学書がある。この本を読むと当時の和算家(数学者)は世間の常識を幅広く身につけていたことが分かる。逆に、幅広い知識がないと『珍書』を楽しめないのである。一芸に秀でることは万芸の土壌を必要とするのである。
(写真は本文と関係はありません)
徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄