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Vol.126.数学月間に寄せて

公開日 2021年07月

~7月22日~8月22日~

 7月は数学月間なので昔の教員時代の授業での雑談を書いてみたい。田植えの事を書いたが、田植えと言えば、田に蛭(ひる)がいなかったら、日本の数学は幾十年も遅れたという話。和算で数学者と言えば、関孝和であるが、近代数学では高木貞治がナンバーワンである。私の年代なら理科系の専攻生は『解析概論』(岩波、高木貞治著)は必読の本だった。

 美濃の震災で交通手段のないなか高木は自宅に帰る。それを「お前には学問がある。すぐ京都に帰れ」と養父に当時の第三高校(現・京大)に追い返される。ドイツ留学中に疑問を先生に質問した。答えは「自分で考えなさい」と数冊の本を貸してくれた。目から鱗で、勉強とは何かを知る。その後「クロネッカーの青春の夢」を類体論で見事に解決した。蛭を嫌がり高木の母は離婚したのである。

 高木と同窓が徳島の林鶴一である。小学校の教員の息子で書生をしながら苦学生として三高に通う。徳島に帰省の折にいつも天保山で再び京都に戻れないかもと思ったそうである。それゆえに京都大の助教授の職を辞し、父の知人の頼みで旧制松山中学校に赴任している。坊ちゃんのモデルとさえ言われるが、モデルと言われて林は嫌がったらしい。

 林は、学校教育と和算のために尽くすのである。上へは物申す胆力のある学者だったが、授業見学は担当教師が緊張しないようにポケットの中で小さな鉛筆でメモを取るほど心優しい気配りの人でもあった。富田小学校に「探玄究幽」と言う林の筆になる額を見ることが出来る。女子に大学の門を開いたことでも知られる。

 世界的な数学者と言えば、ご両親が徳島出身である吉田耕作が有名である。父が軍人であり旧制中学校から東京くらしである。本籍地を徳島に置き「徳島出身」と名乗っていた。縁者の人は今も徳島に住まわれている。院生が吉田先生に「何かいい研究材料はありませんか」と聞いた。先生の返事は「それがあれば、私が研究するよ」だった。付け加えれば、旧制徳島中学卒の犬井鉄郎も東大教授だった。
(写真は林鶴一)

徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄