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Vol.124.田に水を引く

公開日 2021年05月

~子どもは労働力~

 散歩していると早場米の田植えが始まっている。「森の水車」の2番の歌詞の一節「森の水車は休みなく、粉挽臼の拍子取り」を思い出した。水車はこんなに陽気なものではなかったのである。 

 田植えは農家の重要な作業で忙しく、田に水を引くことは欠かせない仕事であった。用水、水路から傾斜を利用したり、一部を塞き止めて水を入れたり、できるところは恵まれている。田より用水路がやや低いと水車に頼った。

 粉挽臼をつくのは水を溜めて、その重さで水車を回転させるが、田植えの水車は水をくみ取り、人間の体重と足に力を入れることで、水をあげ、あげた水が頂点を過ぎ、下がる時に田に移すのである。水車の頂点に日傘をとりつけて、田が一杯になるまで踏み続ける、単純だが重労働であった。
 
 昭和20年代は、農家の小学高学年から中学生は大切な労働力であったらしい。それゆえ、農繁期の田植えと稲刈り時期には農繁休暇が、農家の子どもにはあった。私のような非農家の子どもは登校するので、農家が羨ましかったが、現実は厳しかったらしい。

 散歩道に見る田植えは機械で小さな苗を綺麗に植えていく。昔は、今の苗の3倍もあるかと思われる苗を早乙女さんが一本一本定規を使って植えた。田植えがほぼ終わるころ、中学生は職業と言う教科があり、余った苗を学校の田に植えるのである。田には蛭がいるので気持ちはよくなく、嫌だった。

 蛇足になる。想像もつかないだろうが、私が通っていた小学校には学校林があった。山の下刈りに小学生も動員されるのである。小学生に出来るはずもなく、主に父親の仕事であり、小学生は弁当を持って先生に連れられて行くので、一種の遠足みたいであった。
(写真のような風景はあまり見かけなくなった。佐那河内村での田植えイベント)

徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄