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Vol.122.仰げば尊し

公開日 2021年03月

~身を立て 名をあげ やよ 励めよ~

 コロナ禍の影響で大学は、入学式がなく、更に卒業式も密を避けて行われなく、学長のメッセージを受けるだけのところも出てきそうである。小中学校においても密を避けるための工夫がなされて声を出すことが憚れ、別れの歌もテープを流すところもある。簡素化が必要に応じて有効になされて好ましいが、密を避けディスタンスが過度になり、すべてがなくなるのは、寂しい。当事者は辛いだろうと推測する。

 卒業式と言えば一昔前は「仰げば尊し」が定番であった。最近は様々な工夫がなされているが、今でも懐かしむ人たちは多い。私の事で言えば、教師になってからは「仰げば尊し、我が師の恩」と歌われると落ちこぼれの教師にはちょっと心苦しく心から喜べなかった。さらに「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」のフレーズが世間から批判を浴びた。学校の教育は出世をさせるためのものであるのか、との問いかけである。人間教育には不適当との批判は当たっているとも言えるからである。

 話は変わるが、美輪明宏が自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」を聞いたことがあるだろう。この歌をすべて書けば著作権に関わるので一部しか書けないが「高校も出たし 大学も出た」、つづいて「おまけに僕はエンジニア」との節には字面にない思いが込められている。エンジニアとあるが、実は大きな会社の土木技師あるいは土木関係の官僚を暗示していると思われるのである。

 ある人のエッセイに「孝経」の中の「身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕かにするは孝の終わりなり」を紹介して、「あの優れた人のご両親は素晴らしい人に違いない」と親を顕彰することを「仰げば尊し」の一節は歌い上げていると紹介していた。「故郷」の「志をはたして いつの日にか 帰らん」に通底している。立身出世の勧めであるようだが、親孝行の歌でもある。

 美輪の歌の後を私の解釈で書けば、母のヨイトマケの現場に元締めの東京本社から部長が、あるいは高級官僚が視察に来た。あれはヨイトマケのおばさんの息子だと仲間が噂している。雲の上の偉い人と思った人が,中請けや下請けの社長を押しのけて、現場作業員のところに来て「母がいつもお世話になっています」と頭を下げた。
(写真は本文とは関係がありません)

徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄