公開日 2021年02月

~徳島県内最後の鏝絵継承者~
終戦記念日とか開戦記念日の新聞記事では、松茂町の春藤嘉雄さんの名前を見かける。彼は、終戦も迫った1945年に軍需工場・第11海軍航空廠(しょう)に学徒動員された。そのときに居た呉で広島の原爆投下の光りを見たのである。「あの光りは何」と話したのが、後になって原子爆弾と知った経験を持っている。戦争がいかに悲惨で辛いことかの体験は身に詰まされる。現在は年齢的に一線を引いてはいるが、本業は左官屋さんである。
左官屋さんではあるが、ちょっとした特殊技能の保持者として知る人ぞ知る鏝絵(こてえ)、または、漆喰鏝絵(しっくいこてえ)の絵師である。町の資料館で個展を開いたときに見せてもらった。はじめは鏝絵と聞いても何かわからず手元にあった辞書で調べたが、掲載されていない。インターネットで調べると左官屋さんが仕事で使う用具や道具を使って描いた絵である。
インターネットの引用だが、「鏝絵(こて絵、こてえ)とは、日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことである。左官職人がこて(左官ごて)で仕上げていくことから名がついた。題材は福を招く物語、花鳥風月が中心であり、着色された漆喰を用いて極彩色で表現される。これは財を成した豪商や網元が母屋や土蔵を改築する際、富の象徴として外壁の装飾に盛んに用いられたからである」
昔ながらの白壁を見かけることも少なくなり、左官屋さんも漆喰壁よりセメント塗が主な作業となってきている。当然のことながら、鏝絵の技術者も減ってきている。徳島県内では、現役で鏝絵を描いているのは春藤さんだけになっていると聞く。日本の白壁と共に発達した絵の文化も継承者がなく、技術は勿論のこと辞書からさえなくなっていく気配である。左官文化の一端の喪失と言える。
(カット写真は春藤嘉雄作「ちゃぼ」の鏝絵である。)
徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄