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Vol.119.懐かしい滅多に聞かない方言

公開日 2020年12月

~でんだいは田代から~

 師走に入り午後5時にもなると日は落ち周辺は暗くなっている。Tさんが仕事をしていた席を立ち、ストーブに当たりながら「『店じまい』にしませんか」と回りに声を掛けた。応じた若い方が「(お家は、また、帰宅方向)どちらからですか」と聞いた。「石井の、でんだい、よ」との返事が周辺に聞こえると一瞬、みんなの手が止まった。聞いたことがない言葉であったからだ。同僚が辞書を調べても見当たらない。最後に古語辞典を調べるとある出版社の辞書にあった。私一人が分かっていたようであった。

 戦後間もないころ、私が4歳か5歳のころは、菜種油を取るために菜の花の栽培が盛んであった。見渡す限り野原一面が黄色でおおわれるのである。雲雀が、幾羽も空に舞い上がり、長閑な風景ではなく、喧しい、ここまで鳴いていると騒音である。母に手を引かれてこの田園地帯を母の実家に歩いていく。着けば美味しい食べ物にありつけるのだが、幼児の足では苦痛の強歩である。2~30メートル歩いては立ち止まり、母に促されて再び歩く。雲雀は、長閑ではなく、苦しい、苦しい、と叫びながら上へ上へと飛んで行く。と思えば急に落下、菜の花の中に消える。雲雀は、なぜ、セコイ(阿波弁で、苦しい、しんどい、の意味)、セコイ、と喘ぎながら天空を目指すのか。立ち止まり、叱られて、泣きながら、母の後を追った日があった。
 
 最近はちょっとコウノトリの見学場所として知られる大麻町を、板東から津慈に下って行く田園地帯の風景である。この風景こそが「でんだい」である。これは田舎者が使う方言と思っていたので野原と言っていたのである。その言葉を大学の同期生の口から聞いたのである。それから25年ほど後に図書館で阿波の方言の本を見つけた。ちゃんと「でんだい、野原や広い田園地帯、田代からと思われる」と言うような説明があった。このエッセイのために読んだ記憶の本を探したが、本は見つからず、あれは夢か幻だったのか。
(写真は場所とは関係ない)

徳島広域消費者協会 顧問  三原茂雄