公開日 2020年04月

~散る桜に哀愁~
「サクラガサイタ」と言えば、尋常小学校の「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」が思い出す人がいる。戦前は、平仮名より先にカタカナを習った。蛇足を加えれば、尋常小学校から国民学校になり、私のように戦後は小学校となる。ここで習った国語は「まことさん、はなこさん」だった。戦前と戦後での大きな違いはカタカナから平仮名に習い始めが変わったことである。
受験と言っても大学の受験生の合否の発表は電報で伝えられることが多かった。だから「サクラサク」は合格の電文であるので「桜咲く」では電文の思いが伝わらない。「ハエアルゴウカクヲシュクシ、マスマスゴベンガクヲイノル」は電電公社の決まり文。字数が多くなるほど料金が高くなるので、「サクラサク」のような短い電文を使いだしたのだろう。主に大学生の部活の資金集めであった。高知大学は「クジラツレタ」であり、奈良女子大は「ダイブツホホエム」と聞いた。
桜をさくらと平仮名で柔らかく書いたのは、俵万智さんの「さくらさくらさくら咲き初め咲き終りなにもなかったような公園」の歌が有名である。何もなかったようでも確かに満開の華やかな日々があったのだ。桜、さくら、サクラの表記はどれもそれなりに使われている。桜咲く、が一見して全体像が見えるようで好ましいと、私は思う。漢字と言えば、桜を櫻と書くことも苗字では多い。
友人の苗字でさえ、沢が澤になり、辺が邊、邉、吉が■(■は、パソコンに字がないが、土のように下が長い吉)である。いつから変わったのか知らないが、賀状は旧字であるのでそれで応じている。笑われるが、ネイティブの日本語を修得しているはずだが、外国人にたいして、さくらの表記ひとつさえ説明できないのが悲しい。
新入学、就職があれば去る人もいる。桜の春は、やはり「散る桜 残る桜も 散る桜」が人事異動と重なる。私の退職の日、3月31日は職場の庭の桜吹雪に見送られた。
徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄