公開日 2020年03月

~たかがお守り・祈願、されどお守り・祈願~
歳をとると好ましいことではないが「今日行く(教育)」がない。仕方なく近くの図書館で時間を潰すことになる。行き帰りに小さな神社・広島天満宮の前を通る。天神さんらしく庭には梅が植わり、立春ころにはほころび始めるのだ。赤ん坊を抱いたママが自撮りしていて、思わず「勉強好きな子に育つよ」と声を掛けるとニッコリ笑みを返してくれた。
天神社がここにある理由は分からないようであるが、地震、雷、火事、親父の諺があるように雷は恐ろしいものの一つだった。その雷を鎮める意味合いで招魂したのが始まりではないかと思われる。そのような目で見ていると天神社は各地の神社や(神仏習合の時代の名残か)寺院の庭でも見かける。隣町の事代主神社は、毎年9月25日に天神祭を行っている。
天神さんで思い出すのは受験である。3月になると受験も後半だが、受験が一番厳しいのは、受験の神様の身近な人かもしれない。昔のことで曖昧だが、京都の北野天満宮の神職の子どものことを週刊誌で読んだ記憶がある。徳島県でも猫神様で有名な文化の森の王子神社、阿南市お松大権現の神職の子どもたちは大変であっただろう。
今までにも触れたことがあるが、数学に特化した神社は、京都で「割算日本一」の看板をあげた毛利重能を祀った西宮の算学神社が有名である。競馬が好きな人は有馬記念レースで久留米藩主の有馬は知られている。なかでも新田次郎の小説『二十一万石の数学者』のモデルの殿様を祀ったことで笹山神社へのお参りが絶えない。殿様の数学力だ。
地球の公転によりみんなに平等に春は訪れる。だが、花の咲き方はそれぞれ異なる。花が満開に咲く人。進学・就職が第二第三志望になる人。厳しく浪人する人。人生の岐路である。だが、上手くいっても躓く、躓いたために新しい思いがけない出会いも、万事塞翁が馬と思うことも大切のように思う。
徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄