公開日 2022年05月

~点額(てんがく)~
今春は新聞報道を見ていると、大学の入学式は付き添いの制限はあっても、対面式であったようだ。新しく大学の門を潜り大学生になった喜びは本人以上に保護者の喜びでもある。だが、その昔の中国の科挙の試験のようにその後が保証されてはいない。更なる今後の学びが成長につながる。
そのようなことを思い浮かべていると、大歩危を始めあちらこちらのこいのぼりの便りが新聞の紙面に載るようになった。鯉、と言えば、私は、carp が単複同形と言われる受験の時の知識である。受験勉強は批判されても記憶に残っている。ただし、ほとんどが現在の生活に不必要なものばかりである。
科挙の試験では、芥川賞を思い出す。芥川賞は新人作家の登竜門(The Akutagawa prize is known as the gateway to success for new writers)と言われること。登竜門(gateway to success)であるが、中国の黄河に竜門と言われる急流があり、その竜門を登り切れば龍になるとの故事から来ている。竜門は中国の山西(さんせい)省河津(かしん)市にある山峡名であるので、いわゆる門があるのではない。竜門は、くぐる 通る、とは言わない。
私が気になる言葉は、登竜門のいわば反対語に当たる点額(てんがく)である。試験に落ちることであるが、竜門を登れない鯉は、登り切れないだけではなく、額を打ち付け傷を負い、敗者の苦しみを味わうのである。多くのスポーツでは勝者は喜びをみせびらかすが、日本古来のスポーツは敗者を思いやり喜びの表情を出さない。
昔から、万事塞翁が馬、の諺があり、敗者復活の機会は多い。また、小さな喜びに感謝や感動を味わえる、他の人の痛みを知る人になりやすく、人間的に成長する者もいる。若い時の苦労は買ってでもしろ、との言葉もある。傷ついても決してマイナスばかりではない。また、「置かれたところで咲きなさい」ではなく、自ら「置かれたところで咲く」気持ちが大切である、と私は思うのである。
(写真は大歩危峡のこいのぼり)
徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄