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vol.137.パソコン画面を保存せずシャットダウン

公開日 2022年06月

R4.6月号コラム

~元の黙阿弥 or 釈迦になる~

 某新聞に投稿したいと思って、内容の質は別にして取り敢えず文章が出来た。いつものように保存にしてパソコンを閉じた。一瞬、「あれ。」と思った。案の定、保存できていなかった。「元の木阿弥だ。」と思ったのだが、否、「お釈迦になる」、が適語かと思い悩む。

 元の木阿弥の語源は、大名の殿さまが死去して世継ぎが小さいので生きていることにした。そこで声のよく似た木阿弥を替え玉としたが、子どもの成長で替え玉の役目を終えると、元の木阿弥に(戻った)。このようなことが語源だと言われる。話は異なるが、中国の故事「死せる孔明、生ける仲達を走らす」を思い出す。 

 また、異なった説は妻と離婚して木食の修行をし木阿弥などと呼ばれる人がいたが、老いてから生活が不自由で妻の元に戻ったので、なあ~んだ、と嘲り、元の木阿弥と言われたという小馬鹿にした話がある。更には、元の木椀が語源で、朱塗の茶碗が剥げて元の木の色が出てきたからと言う説もあるようだ。

 釈迦になるは「くらしのサポーター通信(129号 2017年 4月)」から転記すると、
 職人仲間の「ひ」を「し」と発音するのが面白い結果を生んだのが「釈迦になる」である。飾り職人は火の強弱で作品の出来が左右される。火加減が強すぎると作品が駄目になる。
「ひがつよかった」が「しがつよかった」となり、「『しがつよ(う)か』った」、言い換えれば「4月8日」。「釈迦になる」は、「火が強すぎで駄目になった」ことからである。

 意味の理解不足だが、釈迦になる、で思い出した中国の故事は、九仞 (きゅうじん) の功 (こう) を一簣 (いっき) に虧 (か) く、である。地域の論語を読む会で覚えた知識だ。蛇足だが、4月8日は釈迦の誕生日・花祭りで、俳句では春の季語である。

 私の投稿文は取り敢えず出来てはいたが未完成である。完成していないなら、火が強すぎて失敗作の例えの「釈迦になる」の方が適切のように思われる。いずれにしてもパソコンの画面から失せ、私の力では復元できない。元の木阿弥、否、釈迦になった、と言葉を考えていると、ふっとそのことが頭に浮かんで寝付かれない。することのない老人は明日昼寝でもするか。
(写真は文と無関係、夏椿で日本では沙羅双樹とも言われる)
              

徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄