公開日 2022年10月

~死者と結びついたそうれん(そーれん)花~
昭和20年代のころである。父の実家の墓所はなだらかな山の斜面に広がったところにあった。家々の墓の間や通路には秋には毒々しい真っ赤な色を付け緑の葉っぱのない不思議な花が咲いていた。それを誰言うとなしに子どもたちは「そうれん花」と呼んでいた。なんとなく死者と結びつき嫌な気持ちにさせる花。
戦前から歌われていたのかも知れないが、戦後も流行った流行歌に「長崎物語」と言うのがある。
赤い花なら曼殊沙華 阿蘭陀屋敷に雨が降る
云々と続く歌である。テレビのない時代にラジオから流れてきたのか、大人が歌っていたのかの記憶もないのだが、歌の歌詞や歌声で曼殊沙華に憧れた。だが、それが「そうれん花」と知った時の恐怖にも似た感情を今も忘れない。最近は曼殊沙華の言葉もあまり聞かなく、多くは彼岸花と呼ばれている。
最近は耳にしない「そうれん」は、阿波弁と思って使わなくしてきた。調べると中国地方では「そーれん」と言って「葬式、葬儀、葬礼、葬列」などを指し示すようだ。シニアの中には「そうれん(そーれん)車に出会ったら、親指を隠せ」なんて、今でも言われる人も見かける。若い人には死語に近いだろう。
昭和も50年代のころである。妻の実家で義理の姉が「戦時中は、彼岸花の根を食べた」という思い出を語った。食うものがない時代に田んぼや畑の間、畦道のようなところに彼岸花を食用として植えた。その名残の根っこが今も残っていて畦道に彼岸花が見られるのだろうとのこと。聞くのも見るのもビックリで、まさか食用であったとは驚きである。
気が付けば、ケ嫌いされることなく、あの「そうれん花」は「彼岸花」と言われて花見の名所にさえなっている。見物客が見に行き、カメラを持った人たちも押しかける。お墓や死者のイメージとは結び付かない赤い花が咲いている。私のよく歩く散歩道にも彼岸花が咲く。楽しみであるが、触れてみようとは今でも思わない。どこかで、死者の香りがするのだ。
(写真は彼岸花)
徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄