公開日 2022年12月

~寂しい日本文化の米~
馬齢を重ねるだけなので、米を、と言って一瞬ためらい、研ぐ、と続ける。知識としては分かっているのだが、米を洗う、の言葉がぴったりとくる。まして最近のように無洗米と言うのが店頭に並ぶとなおさらである。
「研ぐ」について岩波の「国語辞典八版」によれば「米などを水中でこすりあわせて洗う」とあるから、「洗う」があながち間違いではない。ただ、精米したものから糠を除くことが研ぐことである。
子供のころは、米は研ぐと言われても意味が分からず、汚れを落とすための作業と思っていた。それゆえ、言われても納得していない知識は身に付かない。やっと、理屈が分かり、ためらいながらも、研ぐ、をつかえるようになった。真偽のほどが分からないが、有る食堂でバイトの若者が米を洗剤で洗ったという話題に笑えるようになった。
数年前、全国紙の投稿欄に米を“洗う”を使っていた。こんな大新聞も「洗う」を投書ではあっても修正しないのに驚いた。精米技術の進歩で昔のように少しの油と糠を除去することは不要となっている。日本文化、日本の長い間の米文化の変容に納得しながらも溜息をつくのである。先の新聞は、後日文化欄では“研ぐ”との記事があった。
米を洗う、この表現が市民権を確保している現状を、米文化の衰退と見るか、発展と見るか、人それぞれ違っているだろう。ただ、米の消費は減り続けているらしい。朝食がパンの家庭は随分多くなったと聞いている。食文化の変化は言葉さえ変えていく。
(写真の藁グロは珍しいものである。ただ、文との直接関係はない)
<参考・一部略>
発行年月日 2019年2月 12 日 くらしのサポーター通信 通信ナンバー NO148 「お米は研ぎましょう」に、
筆者が投稿したもの。
米は、外皮をとると玄米になる。玄米を覆っている果皮、種皮、糊粉層を取り除くと白米になる。これを精米、除く部分が糠と言われる。ほんの少し油気味の糠を除くために水の中で擦ることを「研ぐ」という。
「洗う」は汚れを落とすことであり、糠を取り除くことを意味しない。ただ、精米の技術が進化しており、最近の白米は昔のように糠の部分を落とす必要がなく、糊粉層部分は全部落とさないのが美味しいとも言われる。
徳島広域消費者協会 顧問 三原茂雄