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vol.152.橋といえば思い出すことなど

公開日 2023年09月

R5.9月号コラム

~架かる場所で呼称は変わる~

 古い話である。私の父は線路工夫(昨今は保線作業員というらしい)であり、義務居住で国鉄(JR)の宿舎に住んでいた。壁一つ隔てて線路があり、昔の蒸気の列車が通過すると地震のように家は揺れた。初めて来た友人は、こんなところで毎日よく寝られるものだと驚く。家の斜め前に立っていたのが跨線橋(こせんきょう)である。

 やがて、学生時代に徳島駅まで列車通学した。帰りの乗車は、改札口を出て、何番線であったかは記憶にないが、陸橋(りっきょう)を渡るのである。私の父なら、橋の下が線路であるものは陸橋とは呼ばず、跨線橋と拘って呼ぶに違いない。跨線橋が仕事と分かちがたく結びついた言葉であるからである。線路が通っているのは跨線橋であり、跨線橋と呼ぶのは職業人の矜持であった。

 徳島駅周辺も交通量が増えるに従い、歩道橋(ほどうきょう)が出来だした。陸橋でよいと思われるのだが歩道橋と呼ばれていた。陸橋の線路、道路などの上を渡る橋から、主に車道の上を跨ぐ、言い換えれば渡る橋を歩道橋と特化しての表現になったと思われる。自動車の発達で道路が混んできたので安全な歩道が求められたと言うことか。

 交差点の通行量が多いところに、上下に交差するように架かった橋がある。この橋を跨道橋(こどうきょう)というのは、道を跨いでいる橋(道)だからである。線路を跨ぐのが跨線橋なので分かりやすい。跨道橋は人に特化していなく車も通るのである。私の住んでいる松茂町の国道旧11号線と現在の11号線が交わる広島ランプが跨道橋である。

 私が毎日見ている橋は、徳島市の加賀須野と松茂町に架かる橋で、一昔前は開閉橋といい、詳しくは跳開橋(ちょうかいきょう)という、橋げたが跳ね上がるものだ。最近は昇降橋と言われるが、昇開橋(しょうかいきょう)といわれ両端に鉄塔を設け、橋桁全体を上昇させる橋が新しくできた。

 蛇足、私の幼児期(大麻町板東)は、人などが行き来する道、主要な道路、街道などを往還(おうかん)と言っていた。地域の方言と思っていたが、大学生になって大学の先生が、講義の必要性から往還の用語を使っていた。最近は聞かないが共通語だったのである。
(写真は広島ランプの跨道橋)

阿波の助っ人・くらしのサポーター 三原茂雄