公開日 2023年12月

~獅子舞~
古い思い出話になって申し訳ないが、戦後世代には祭りは、お米のご飯、お寿司などが食べられる楽しい行事であった。特に私は大麻比古神社の氏子であったので近隣近在からのお参りも多く、板東駅からは神社まで人が連なっていた。賑やかな、なんとなく心弾む嬉しい行事であった。
小学校の唱歌にも「村祭り」、としてあった。
村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドンヒャララ
ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓
時代は、昭和から平成、更に令和に移っていくとだんだん祭りはすたれて、無関心になっていく。豊漁や豊作、日々の生活と結びついた神への祈りは一次産業から離れた、いわゆる勤め人には負担になり、関わる人の減少、さらに地区によっては過疎で人そのものが減少して、祭りの担い手を確保するのに苦労するようになる。
私が小さな建売住宅を購入して移り住んだ地域も、旧来の地域の行事にかかわりを持たない人の増加で祭りは少しずつ見向かれなくなった。さらに祭りそのものも簡素化や危険を避ける傾向が出てくる。近所の祭りの珍しい地域独特の「三人背継ぎ」の獅子舞は記録にはあるが祭りの日に演技されたのを私は見たことがなかった。演技が披露されたのは、最近では国文祭の時、県内の文化協会研修会の歓迎セレモニーくらいではないかと思われる。
今秋の祭りは、そのような三人背継ぎが復活するとのニュースがあり、昨今は見られないほどの観客があった。神事があり、お練りがあり、神輿が南のお旅さんまで出る。さらに引き返して北のお旅さんまで出る。ここでの獅子舞のほぼ最後の大演技が「三人背継ぎ」であった。うまくできて拍手喝采であり見物客は満足して帰途に就いた。
簡単に伝統を守るというが、各種の文化遺産に指定されると喜ばしいが続ける負担が増す。少なくとも人口がある程度あれば努力も結果を出せるが、人がいなくなれば、打つ手はないのが実情である。人口減少の歯止めができるのか。口先でなく人口増へ向かう政治を期待するのみである。
(写真は、松茂町広島春日神社の秋祭り、三人背継ぎ)
阿波の助っ人・くらしのサポーター 三原茂雄