公開日 2024年04月

~祝日の過ごし方も考えたい~
国民の祝日に関する法律、というのがある。ただ、祝日は休む日であるくらいの理解であった。祝日法を見る機会も興味もないし、ことさら注意しなくても日常は話が通じて不自由はしないのである。
祝日の制定で建国記念の日だけは不思議と記憶に残っている。建国記念日ではなく建国記念の日である、と言われても意味が分からなかったが、国の誕生日ではなくて国の誕生を祝う日であるということだ。紀元節の復活との批判を避けたものだったと記憶している。理由はどうであれ休みが多いに越したことはないといい加減に解釈していた。
教師になって学級通信を発行するときに、5月5日を子供の日と書いた。同僚から“こどもの日”と訂正された。親が子供のために費やす日を「今日は子供の日」というのとは違い国の定めた祝日法には「こどもの日」と決めてある。学校がお休みである、というニュアンスでの使用は祝日の意味であり平仮名なのだ。勝手に漢字にしてはいけないのである。教師が使うのは避けたほうがよいと。
話は変わるが、盆と彼岸の違いのいわれは最近知った。盆は先祖が帰ってくる。だから、迎え火とか、送り火の行事がある。彼岸と此岸が一番近くなるころ(科学的なことではない)が、彼岸の日である。ご先祖の会いに行くために墓参りが欠かせない行事である。だから、盆は先祖を迎える、彼岸は先祖に会いにお墓に行くのである。
ところが、祝日法では春分の日と秋分の日は休みということでは同じだが、その日の過ごし方は少し違っている。春分の日は、自然をたたえ、生物をいつくしむ、ということで春の息吹に思いを寄せることである。それに比して秋分の日は、祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ、のであるからお墓参りが頭に浮かぶのである。日常生活に支障のない知識・話である。
彼岸に思い出すのは、
すこやかに家をいで来て見てゐたり春に彼岸の最上川のあめ 斎藤茂吉
ちょっと気障(きざ)かな。
(写真は隣の家のアカシア、本文と無関係)
元しらさぎ消費者協会会長 三原茂雄