公開日 2025年03月

~空き家に咲く梅の花~
隣の家が空き家になって数年経つ。まめな方で庭は手入れが行き届いていた。老いを感じ始めて、残された者が困らないようにと、庭木は少しずつ刈り込まれていった。庭木はほぼ背丈を超えるものがなくなった。やがて黄泉の国からお迎えがあって、曾孫がガヤガヤ騒ぐ中を自宅で亡くなった。
一年ほど残されたパートナーは齢を重ねた体で庭木を切り込んでいた。ある日、ご子息が独り暮らしの母親を訪ねて来た時、目眩がして近くの医院へ行った。医院の前で体調不良を訴え救急車で病院へ、そのまま帰らぬ人となり、その後、家は空き家になった。庭はご子息がきて時折手を加えている。とは言えだんだん庭木の背丈は伸びた。
如月・着更着と言われる寒いときになって気が付くとお隣の梅の木はすっかり背丈を超えて大きくなり、寒いなか蕾をつけ、膨らみ、咲いている。思い出したのは、忠犬ハチ公である。主人を迎えに毎日渋谷駅で10年も待ち続けた犬の話である。今、目の前の梅の木は主が居ないにもかかわらず、見てもらえる人はいないのに咲き続けている。
梅と言えば、触れないことはできない歌がある。道真公の歌である。解釈する知力はないので、記すだけである。
拾遺和歌集では、
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな
同じであるが、大鏡では
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
というように残されている。このあたりのニュアンスの違いは私の理解の外である。
私の住む小さな団地でも、昨今空き家が増えてきた。11軒ほどで小さな班を組織しているが、住んでいるのは6軒である。それほど田舎の過疎地とは思っていないが、人口減少であり、老人タウンの先端を行っている。
(松茂町長岸 観音寺の梅)
元しらさぎ消費者協会会長 三原茂雄