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vol.175.クーリングシェルター

公開日 2025年08月

R708

~シニアには命に係わる暑さ~

 7月になって暑さが一段と加わってきた。退職後に「きょういく(今日 行く)」ところがない。それでもルーチンとなっているのが町立図書館通いである。健康のために少しでも歩いて、体力の劣化防止、そんなことを考えている。寒さ暑さは防寒・防暑で耐え、雨が降ればコミュニティバスでの往復である。便利であるが、だんだんちょっとずぼらになって、歩かずに甘えてコミバスに頼る日が多くなった。

 7月1日になった日、図書館に立て看板が設置された。熱中症対策の避難所に指定されたことを知らせる看板である。一般の避難所では、避難者同士が楽しくおしゃべりできるが、ここでは、ちょっとそれは控えねばならない。時間潰しには新聞も雑誌も書物もあり、さらに昔の生徒時代の如く机にうつぶせて寝ることも自由である。何よりも涼しく、静かで睡眠を邪魔されることもない夢空間である。

 それにしても昨今は実に暑い。戦後の子供時代、昭和20年代も暑かった。暑いときに体を動かして、水分を補給すると更に汗が多く出るので、それだけ疲労がたまる。だから水分補給は禁止である。学校でも、それが当たり前だったが、今より温暖化が叫ばれず涼しかったと思われる。何よりも生活空間に水田が多くて風は涼しく感じた。それは田舎の学校の役得でもあったのかもしれない。

 夕方、閉庁前に隣町の役場へ自転車で行った。役場までの県道で、自転車の中高生を見かけたが、ほぼ自動車の通行ばかりで歩いている人は見かけない。少し早いと黄色い帽子の小学生が児童館まで集団での下校の姿を見ることがある。水田には人影はない。暑い時間帯は必要不可欠の人以外出歩かないのである。余談だが、私の小学時代は田畑にはだれか農家の人が作業をしていた。今思えば、通学生のスクールガードの役割を果たしていた。

 昔は暑いとき寒いときに耐えられずに亡くなる人が多かった。会葬者(参列者)は、暑くて汗をかき、寒くて震えながら霊柩車を見送った。
(カットは、松茂町のクーリングシェルター施設の立て看板)

元しらさぎ消費者協会会長 三原茂雄