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vol.185.散る桜、残る桜も、散る桜

公開日 2026年06月

桜

~見事に散る美学~

 4月も下旬になった22日、いつものように町立図書館の近くの桜並木を歩いていた。新しく植えられた桜は若葉が枝全体を空間がないくらい占め、すっかり若葉になっている。古い桜は枝を張っている上部に緑はなく、枯れ枝が際立つ。桜並み木の世界も世代交代が進んでいる。

 桜の木を見ながらふと目に留まったのが、若葉の中に咲く花である。ここだけ、いくらかの花が残って咲いている。桜の花は新芽に押し出されるように散って、気が付けば姿を消しているのだ。それが、青葉の中に物憂げに咲いている。いつもと異なった雰囲気に違和感を覚えながら横を通り過ぎた。

 私のように勤め人であった、なかでも公務員は3月末が定年である。新緑、あるいは若葉の新規採用の職員に押し出されるよう職場を去る。民間企業は4月に新人が来るが、退職日は誕生日であることが多いようだ。これは厚生年金が誕生日と関係があるからと思われる。私の場合は公務員で年度末に退職し、誕生日まで無年金の期間が生まれた。

 「散る桜、残る桜も、散る桜 (良寛)」。桜並木を横に見ながら、つぶやいた。若いと思っていても気が付けば退職の日は近づく、近づいているのだ。これは老人の感覚のようで寂しい。桜ではないが、林文子なら「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」かな。この花は、どう読んでも恋の花咲く時期だろう、花というより華と思われる。図書館に着いた時に思い出したのが「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」というのは親鸞の歌だ。

 数日前には、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックの「フィギュアスケート・ペア」で金メダルの「りくりゅう」のペア・三浦璃来さんと木原龍一さんが現役引退を発表した記事を読んだばかりだ。散り際が余りにも見事なので、ただただ驚いた。ソメイヨシノの散り際ではなく、ボタンザクラの如く長く咲いてほしかった気もする。
 (カットは咲き終えたはずの桜の木)


元しらさぎ消費者協会会長 三原茂雄