公開日 2026年11月

~ラットレースから脱却~
秋は愛知・名古屋アジア大会があり、県内のプロスポーツもサッカー、バスケットと賑やかだ。野球は徳島インディゴソックスがリーグを制した。運動関係に無関係でも日々の新聞の紙面を見れば感動することも少なくない。とは言いながら、柔道がjudoになり、国際大会を見ると柔道ではないな、としばしば思わされる。
各種のスポーツ大会の優勝者がよく口にする言葉に「努力は嘘をつかない」がある。私はこの言葉を聞くたびに昭和の五輪の年に舟木一夫が歌った「涙の敗戦投手」を思い出す。「力のかぎり 投げた球・・・たけど破れた 敗戦投手」そして「勝つも負けるも 時の運」と歌うのである。敗戦投手だって一生懸命に努力した、結果は勝利ではない、そんなことは多くの人の経験である。2チームが争えば片方が努力云々でなく負けるのだ。
少なくとも日本の伝統格技では、勝負に勝った時には淡々として喜びを爆発させない。敗者の悔しさに思いをよせる、であれば過剰な喜びの表現を避けるのがマナーであった。ガッツポーズをしたり、観客に向かって手を振ったり、それははしたない行いなのだ。涙を流し泣いている傍らで勝者がとる態度ではない。それが日本文化であった。そのような技の道を極めるという柔道はスポーツとなり、judoになれば五輪の風景を思い出せば分かることだ。
私の知る範囲の事ではないが、聞くところによると都会のある学習塾ではテストを受けるごとに結果により座席が変わる。テストのチャンピオンが表彰の一つとして最高の座席に座る。それは努力の結果なのである。運動競技と同じなのだ。このようなラットレース(rat race 際限のない競争に追われる)がスポーツ同様学習でも行われている。私見だが、不登校生は増えても減少することがないのは昨今の状況を見れば分かり切ったことである。
勝っても負けても、相手をいたわる心、日本の和の文化は勝つことよりもその道を極めることを求めた。今や体育の日はスポーツの日になり、ますます勝つことが求められる。研究者は役に立つ研究を求められる。生き難い世になった。(コスモスのカットは内容と無関係)
元しらさぎ消費者協会会長 三原茂雄